こっそり
某所のミラーを作っておこう
■[(-@∀@)ヲチ]ホワイトバンド公式ブログが見せた醜態に関する補完
非常にみっともないエントリーをぶちかましたホワイトバンドの公式ブログ[Yahoo!ブログ - ホワイトバンドプロジェクト]であるが、その「みっともないエントリー」はさっくりと削除してしまったようだ。
経緯についてはこちら、cioさんのエントリーから、リンクされている春日匠氏、id:kagami氏のところなども回って参照していただきたい。特に春日氏のブログでは、これまでの援助スタイルが木っ端微塵にされているのでそうでなくとも一読の価値はあるかと思われ。
で、肝心なホワイトバンドブログの「みっともないエントリー」は削除されてしまい、上で紹介したリンク先などでもそのみっともなさを確認するテキストは保管されていなかったのだが、今日、はてなRSSを眺めていたら自分が「公式ブログ」をヲチ対象としてRSS登録していたことを思い出した。
念のためにと見てみると、全文があった!
RSSで配信されたものなので、当然、内容は公式ブログに掲載され、削除されたものと同一である。掲示期間があんまり短かったからキャッシュにもウェブアーカイブにも残ってないだろうから、RSSがさらに更新されて消えてしまう前に、はてなRSSだが画像としてキャプチャしつつ、文章も全文引用しておくことにする。晒し者である。
ここのところ、少し難しい話題がつづいてしまいました。
なので今日はちょっと目線を変えて、分かりやすいたとえ話をしてみましょう。
おなかをすかせた人がいます。
魚をあげたら、きょうはおなかが満たされる。
でも明日になったらどうするの?
またお腹がすいてしまいます。
それよりも、釣竿を渡して魚を釣ることを教えたらどうだろう。
自分ひとりでも、 継続的に魚を食べることができますよね。
小麦粉をあげる。
作り方を教える。
パン工場をたてる。
そして作ったパンを売る。
そのお金でまた小麦粉を買う。
つまり、ずっと続けていけるシステムをつくることは、
100個のパンをあげるよりもずっと効果的で、発展性があるんです。
このシステムはしくみであり、構造であり、それを作り出すのが政策です。
だから私たちはなくなってしまうものを届けるよりも、
継続的にものが作り出されるシステムづくりを目指すことをしているのです。
お魚をあげることももちろん必要です。
でも、その一方で誰かが釣り竿を届けるためにがんばることもどうしても必要なのです。
今、日本には貧しいこどもたちの写真を見て、「釣り竿をあげなきゃ!」
と思う人はまだ少ないです。
自分達がそっちの立場だったら、お魚もほしいけど、きっと釣り竿もあったらなあ、と思うはずなのに。
貧困の現場が余りにも遠すぎて、情報が少なすぎて、
日常では考えつきそうなことをあてはめることが難しいのかもしれません。
貧困などの地球規模の問題が、自分たちの生活に直結している。
それにまず気づいてもらうこと(開発教育、と言います。)が、
今の日本に一番必要なことだと思います。
>でも、その一方で誰かが釣り竿を届けるためにがんばることもどうしても必要
>でも、その一方で誰かが釣り竿を届けるためにがんばることもどうしても必要
>でも、その一方で誰かが釣り竿を届けるためにがんばることもどうしても必要
>でも、その一方で誰かが釣り竿を届けるためにがんばることもどうしても必要
ホワイトバンドがいくら売れても、
現地の人には一銭も渡りませんから。
そう言ってるのはアンタがたですから。
なんというか、絶望的なまでにバラバラだな、このプロジェクト。絶対成功しねぇ。せっかくの国際プロジェクトがめちゃくちゃだ。新しい方向性を示すとき、「失敗の前例」は日本では致命的とも言える将来的な結果を招くと思うのだが、そうした危機感を持ってプロジェクト全体を推し進めようという人間・人材は皆無だったのか?
こんな私憤めいたものよりもよっぽど有効かつ有益、建設的な意見が前掲春日氏のブログにあるので、興味ある方はぜひ一読を。興味ないひとは、WBプロジェクトの有害無益な無邪気さを嗤え。嗤っておけ。