ised@glocomの倫理研第7回をようやく読んだ

理研第7回:プラグマティックに匿名/顕名問題を考える
■ 表現の匿名性を完全に保障することの問題点
から改変

 また炎上を起こす人々は、頑張って背伸びをしたり、相手を貶めたりして、相手を「見下す」ことに固執するという傾向にあります。たとえば、相手に対するネガティブなレッテル貼りをする。相手の名前をしっかり呼ばない。明らかにIT素人にもかかわらず、IT専門家を騙って、たとえば自分がITに強い弁護士であることを匂わせて発言する。しかし、これは内容を見れば一目で素人とわかるわけです。実名というのは、肩書きや資格に寄りかかり、その社会的に評価される職業・資格だからから善である。そう主張するにもかかわらず、自分がいざコメントを投稿するときには自己証明の出来ない実名を使おうとするわけですね。

■ 粘着を切り捨てる自由は正当化されるのか


 匿名ですと、おかしな発言をして批判を受けたときに、それでもなお自分自身の社会的な評価が低くならないという状態が保持されるわけです。明らかに反論をされている状態でも、同じ発言をずっと続けることに何の躊躇も覚える必要がない。だから粘着さんが堂々巡りをずっと続けてしまう。

反論や論破が何度もされているのに・・・

ちょっと戻ったところの発言を見ると


 粘着さんのようなおかしな人がたくさんやってきても、ブログを維持できるような強い人たちはたしかに存在します。強い人は、いまの制度下でも立派にネットシステムの恩恵をこうむって情報発信できる。しかし、そうではない弱い人たちは、情報発信を抑制せざるをえない状態になっているわけです。

自分が強い人だと思っているが故に延々同じ間違えを繰り返しているのだろうか?

■ CMCを現実のサブシステムにすべきか、オルタナティブにすべきか


小倉: 当然ですが、「自分は現実社会で偉いのだから、お前ら黙れ」という話をしたいわけではないんです。単に現実社会の活動の一環としてブログをやろうとしているだけなのに、コメントスクラムのせいでそれがやりにくくなるとしたら、それはそれでおかしい話じゃないですか。
白田: それはそのとおりですね。
加野瀬: そういうことをやろうとする人たちは、たいがい社会的に偉い人だったりする。だからそうした権威に反発して問題が起きやすくなるんでしょうね。
>「自分は現実社会で偉いのだから、お前ら黙れ」

今までの差別主義者だと暴かれるまでの過程をかんがえると、これが一番言いたい事だったんだろう

■ コメントスクラム問題の本質


東: 話を聞いていて思ったのですが、共通ID制度を提案するとき、コメントスクラムの例はやめたほうがいいのかもしれません。たしかに小倉さんにとってはコメントスクラムが強い動機になっているのかもしれませんが。
小倉: そうでもないと思います(笑)。

(笑)を憑けたところで誤魔化せないんだがw

2部はまた後に