何となく書く 支離滅裂意味不明変[産経新聞社説]

【主張】国語力再生 漢字制限の見直しが急務


(前略)
 国語表記の基本は読みやすく理解しやすい漢字仮名交じり文だ。それは日本人が漢字を受容して千数百年をかけて工夫を積み上げてきた経験知の集大成である。ところが、知識の大衆化や情報の民主化を旗印とする戦後国語政策、特に漢字制限政策はこの先人の知恵の結晶を損なう結果を招いた。

 片仮名語以外の国語語彙の大方は漢字で書ける。そのような豊かな語彙を持つ国語に常用漢字1945字の枠をはめると、表外字を含む語の大半が使えなくなり、使われなくなる。語彙力が貧困化するのは理の当然だ。

 語彙力の再生には漢字力が欠かせないのだ。現下の漢字教育は小学1年生には80字、2年生には160字などといった学年別配当表によって6年間で1000字強を教えることになっている。これでは、漱石、鴎外の作品も原文では読めまい。先人の知恵の恩恵に浴せなくなってしまうのである。

 本来漢字で書くべき語を仮名で書くのは望ましいとはいえない。仮名は助詞・助動詞や活用語の活用語尾を書く役割を担っている。仮名にはつづりというものがなく、同じ音声の語を書き分けられない。例えば、「かし」と書いたのでは菓子、歌詞、貸し、河岸、樫、瑕疵…何の「かし」なのか特定できない。国語表記に仮名が増えれば国語が曖昧(あいまい)化するのである。

 片仮名語の増大も漢字制限と無縁ではない。原語を知らない者には片仮名語は理解できないから、意思疎通の手段としても国語が劣化する。
(後略)

何となく偉大なる文字を揶揄しているように見える。まあそんなことはドウデモイイガ
でも、最近のアカヒ新聞を読んでいると、似非知識人も智嚢が劣化していると感じる事は多々ある。
科学系の記事なんかアカヒ>日経>>他で一番まともなアカヒでも趣味系の専門誌より遥かに解かり難いのは事実だし

ライトノベル読みたる私に何が言える訳でもないが、同じ事を言い換えられる語が多いってのは言葉の幅と遊びが大きいって事だと思う。
今現在の酔っ払いの頭では対した事が思いつかないが、同じ事を意味することでも語彙数が多いからこそ俳句や短歌で文字数を合わせられるのだし、同じ音で別の意味があるから戯れ歌みたいな二重の意味を持つ歌が歌われるのだろう。落語なんかでもそれをギミックにしているのもあるし

まあ自分が漢字を読めるようになるまではルビに頼っていたのは確かなので、教科書には難読語を仮名に開かないでルビを振るだけで書いて欲しいとは思ったり。平家物語なんかは「祇園精舎の鐘の〜」を仮名で書かれても意味不明だし

あと、国語の教科書は無駄に厚くして、その使わない部分にライトノベルの短編をいくつか入れても面白いのではなかろうか?
どの授業でも全く別のページを読んでいたり、国語では諺や四文字熟語の欄を延々読んでいた人間の放言ですけどw

音楽の教科書は流行歌が無いかを探したり、国語・歴史の教科書では落書き素材として面白くなるような絵が無いかと探すようなある意味教師泣かせの人間の言葉だから殆んどの人からは賛同は得られないと自覚しているが

そーいえば、昔っから無駄に本は多く読んでいたのを思い出した。
幼稚園に入る前から兄貴に付いて行って、図書館から読めもしないのに本を借りていたことがあった記憶がある。
今となってはそれをわざわざ読み聞かせてくれた親には感謝だ。早い者勝ちの原則や予約もあの頃知った知識だ
それでも、漢字を読む法則を理解するのは小学校に入ってからであった
幼稚園に入った頃はひらがなすら読めなくて、幼稚園の保母が兄貴との差で驚いたと母が言われたそうだし…
何なんでしょうね?
後先を考えないのはあまり変わっていないような(滅