電波ヲチ 太田昌国

在日朝鮮人の人権考え集い
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000000707150003
在日朝鮮人に人権を保障してくれる国はねえよ
日本がお情けで与えているだけで保障じゃない


サムライ=「フジモリ」待望論の陥穽 
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/index.html


 与党や政権の中枢に居慣れた政治家の顔つきを見ていると、おもしろいことに気づくことがある。

何かの事情があって、権力中枢の位置から離れる者がときに現れるが、その人物から、やがて、かつての脂ぎった、ギラギラとした「生気」とも言うべきものが失せていくのである。とりわけ、権力抗争に敗れて、中枢から離れた人物の場合には。


  顔つきに好き嫌いはあるにしても、それは一様に穏やかなものになり、権力臭がぷんぷんと匂うことはなくなる。

ああ、北の将軍様のことか


奴隷貿易禁止200周年と現代の奴隷制 
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2007/dorei.html

 奴隷制をいかにふりかえるかというこの問題は、実は、私たちの足元にもおよぶ広がりをもっている。私は見ていないが、英字新聞において、かつては「コンフォト・ウィメン(慰安婦)」と表現されてきた「従軍慰安婦」がいまは「セックス・スレーブ(性奴隷)」と表現されるようになっているという。

この問題に取り組んできた「戦争と女性への暴力」日本ネットワークが夙に使用してきた用語が、国際的に定着したのだと言えよう。

やっぱり無理やり絡めてきた
金を貰う奴隷がいたと主張するのね
面倒なのでリンク貼るだけ
教えて!goo慰安婦」の給料は高給だったのですか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3045617.html


政府・官僚の愚行を放置しない力の源泉――総聯弾圧をめぐって 
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2007/gensen.html
彼女が持っていた「点滴薬からアミノ酸を抽出して細菌培養に応用することは技術的に可能で、生物兵器開発に利用される恐れがある」などという産経新聞06 年11月27日付記事を思い起こすと、「アミノ酸が、そんなに恐ろしいものとは知らなかった」とまぜっかえしたい思いに駆られるし、何よりも、庭先にあった農薬や陶芸用の釉薬からサリンを作れると大騒ぎして、被害者を加害者に描き出した松本サリン事件の警察捜査とメディア報道の悲劇的な教訓を、この連中が何も記憶していないことを確認して、茫然とする。帰化朝鮮人が教祖のオウムは無視ですか?


反吐が出るぜ、こんな主張をする人間に限って殺された人間と残された遺族の人権を考えていないんだから


犯罪と民族責任が浮き彫りにする「光と闇」
――鈴木道彦著『越境の時――一九六〇年代と在日』(集英社新書)書評
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2007/hikarito.html

 一九五〇年代末に帰国した著者は、二人の在日朝鮮人が引き起こした「犯罪」を通して、留学中のフランスで自覚した「民族責任」の問題に向き合うことになる。

ひとつは、二人の女性を殺害したとされる「小松川事件」(一九五八年)の李珍宇、いまひとつは、暴力団員二人を殺害してのち警察官の民族差別発言を糾弾して人質をとって旅館に立て篭もった「寸又峡事件」(六八年)の金嬉老である。

二つの事件の間には、日韓条約の締結(六五年)という出来事も挟まれている。本書の過半は、これら三つの出来事をめぐって、当時の著者がいかに自問自答していたか、それを現在どう捉えているかという記述によって占められている。

民潭も総連も”密入国を含む”犯罪者を自発的に日本の機関に引き渡したことがありません。以上
逆に犯罪を隠す一方だろうが、ばれたら自分たちも被害者だと叫ぶだけで自己変革しない
自発的に社会に溶け込まない集団はとっとと国に帰れ


若年層「フリーター」からの左翼批判に思う 
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2007/sayoku.html

世界的な規模での左翼の衰亡と、新自由主義経済体制の世界制覇との関係で客観的に分析されるべき側面をもつ論点なのだが、右肩上がりの経済成長の過程で得た「既得権を防衛する左翼」という一点に絞りこんでの、ルサンチマンに満ちた批判である。

小林よしのりが、左翼および進歩的知識人に対する罵倒を始めたとき、私は小林の歴史解釈に対する根底的な批判をもちつつも、そこに無視できない論点があることを感じた。

若者が小林の漫画を熱心に眺める根拠も、左翼の不甲斐なさとの対比で理解できた。「フリーター」からの左翼批判にも、同じものを感じる。

私が彼(女)らの論点にどんな批判をもとうと、その主張には、左翼の敗北と退潮によってもたらされた、ひとつの必然的な状況が反映している。そのように捉えることが、この問題を考えるに当たっての、私の出発点である。

左翼批判じゃねえよ
日本ほど社会主義的な国は存在しないんだから
問題は売国勢力がマスコミを取り込んで政権与党を批判するプロパガンダを流していて、そいつらの主張や論理が自己矛盾しているのを批判しているだけだ